ashita text

野蛮に現在のテキストを積み重ね

低解像度のそっくりさん

 そっくりさんはどうしてさん付けで呼ばれるのだろうか。氏名はあるのに「そっくりさん」。そっくりさーんと呼べばはーいと返事してくれるのだろうか。ご本人が登場したら「本人さん」とは呼ばず実名で呼ぶはずだ。ご本人の近似値まで近づいているのに、解像度の低い呼び方でニセモノだということを自覚してますというようなバランスを取っているような「そっくりさん」。そっくりさんという本人の下位互換、保証されていない相似形という(たとえ意図的に寄せようとしていたとしても)無造作なおかしさが憎めなくていい。

 人物のそっくりさんはまだいい。物事・動作のそっくりさんはありなのか? 動物や電車、バス……。人間ではないのだからそっくり「さん」ではない。おそらく形態模写だ。もし「小田急のそっくりさん」がいたら通勤客が間違って彼に駆け込み乗車してしまう事態になる。ほかにも企画やアイデアのそっくりさんがいたら。それはただのパクりとして炎上するだけだ。神様、仏様はそっくりさんだとしても、本人だと言い張っている傾向が強い。

 やはり人物起点のそっくり「さん」なのだろう、そこから考えればアニメキャラや映画の登場人物はかろうじて「さん」がつくのかもしれない。アンドロイドのそっくりさんなんかも現われそうだ。

 そっくりさんとして誰を模倣すればいいのだろう。有名人や近所の有名おじさんなどレパートリーを増やす方向性で? それとも自分が「本人」としてみんながそっくりさんとして寄せてきてもらうようにする? そもそも両親のそっくりさんとして生きている自分の解像度はどれくらいなんだ。

 自分の解像度が低すぎて、もはや誰だかわからなくなってきている。
 そっくりさんじゃないよ! というソックリを認めないジャンル「非っくりさん」をつくって過ごすしかないのか。