美術展の場合、作品の鑑賞に加えて、キャプションや作家自身の言葉(展覧会のタイトルも重要な言葉だ)や美術館やギャラリーのもつ独特な空間など複合的な要素を摂取して消化する面白さがある。しかし、そうして消化したものは、自分自身のものしかわからない。周囲にいる見知らぬ人たちだって別の視点や思考で消化しているはずだ。
消化するということは、原形を留めず事実も曖昧になっていき、むしろこれ以上劣化することのない「たよりなさ」がある。たよりない状態のほうが動きやすい。そして各人の「たよりなさ」の種類は微妙に違ってくる。
目[mé]展『非常にはっきりと わからない』は、自分以外の観客がどのように消化しているのかわずかながらに知ることができた展覧会なのではないかと思っている。そもそもタイトルが「非常にはっきりと わからない」なのだ、どうしたって消化したものに対してたよりなさが含まれてしまう。構成上、繰り返し作品を見ていくと見えてくる気づき。それは正しいのか、正しくないのか、それはわからない。でもなんとなく、たよりなく、消化されていく。そして、そのたよりなさの強度を確認したいがために、ついその場で誰かに見せたく(言いたく)なる。
消化したものは栄養になっているのか、自分の血肉になっているのだろうか。ときには消化しただけでそのまま排泄されてしまっているのではないか。消化物のたよりのなさにたよるしかない。だって10年後、20年後、ゆっくりと消化される可能性だってあるからだ。未来の作品とつながり栄養物へと変化することだってある。
今回、あちこちに落ちていた他人の消化物(吐瀉物)を目の前にしたとき、それをも受け入れるかどうかという軽い緊張感。それこそソーシャルなのかもしれない。
目[mé]展『非常にはっきりと わからない』
期間 2019年11月2日→12月28日
場所 千葉市美術館