街にきよしこの夜が流れ住宅街はイルミネーションでキラキラしている。クリスマスシーズンどまんなか、サンタクロースの格好をした人たちが歓楽街をウロウロしている。おそらく12月24日は、あちこちの家で(子どもが目撃していようがいまいが)サンタに「なりすました」人たちが出現しているのだろう。
クリスマスでのサンタだけでなく、イベントや行事として「なりすまし」的行為があふれている気がする。鬼、なまはげ、ご先祖さま、狐、武士、おばけ、王女、貴族……。いつもは見かけない者たちが、なりすまし(憑依し)てやってくる。ハレの日を演出するための「なりすまし」演出。じゃあ、ハレではない日々ではなりすましていないのかといったらそうでもなく、無意識に、父として母として、あるいは先輩後輩として微妙にその想像の通りになりすましている。
先輩のなりすまし、なんとなく知っている風を装ってぞんざいな言葉で指示してみたり(先輩風)。有名人のなりすまし、見た目や口調を何回も研究して近づけてみたり(そっくりさん)。SNSで別人になりすましている人もいるだろう(文章のなりすまし)。
自分の息子と間違ってしまうなりすまし巧者もいれば、なりすますことに恥ずかしさを感じてなにもしない人だっている。なにもしているのではなくて自分で自分のなりすましをしているだけなのかもしれないし。いやそうじゃないな、自分のことだから全部正解ということにしたなりすましなんじゃないか。それが雑に見えるだけ(恥ずかしく見えているだけ)なのかもしれない。
もっと高度に、AIのなりすましに挑戦する人が出てくるかもしれない。私が神だという神様なりすましの際どさと比べたら、AIなりすましはほんのりポップだ。