ashita text

野蛮に現在のテキストを積み重ね

2019-01-01から1年間の記事一覧

アートの現地集合(フワッとした現地感としての「バンクシー作品らしきネズミの絵」、アウトサイダー)

誰も知らない場所に現地集合。そこにアートがあるから行ってみる。フワッとした現地感。果たしてこの作品が集まるべき場所だったのかどうか。

居心地の演技

遠い親戚だらけの集まりはどこかモゾモゾする。

次はあるのかないのか、なければリサイクルしてでも

じっとしてても次はくる。次から次へと。二度あることは三度ある。それはアップデートしていくことか。でも次がなければどうする。

何チャンス? 何ピンチ?

ピンチの後にはチャンスがやってくるのか。ピンチがないとやってこないのか。チャンスはどこからやってくるのか。ところでいまはチャンス待ち?ピンチ待ち?

振り返っても忘れた(平成はおもしろかった、ということにする)

平成から令和へ。個人的に平成はなんだったのか。すべてを「平成」という文字に保存するとしたらどうするか。振り返ろうとしたけど忘れた、でも覚えてる。

低解像度のそっくりさん

そっくりさんはなぜおもしろく感じるのか。そしてなぜさん付けで呼ばれるのか。解像度が低すぎてもそっくりさんと呼んでくれるのか。

渋滞があるほうが深い

状況が渋滞しているとなにが起きているのか分からず気持ち悪い。薄皮をはがすように、ゆっくりと丁寧に状況を分解すると向こう側が見えてくる。

おもて(屋外)に出たくないので地下(屋内)で

花粉の季節、できることなら屋外は避けたい。しかし、花見にも行きたいし買い物にも行きたい。できればどこへでも地下を通って目的地へ行けたら。アンダーグラウンドな生活を夢見る日記。

起承転結はブーストしない、だから春は「起」

やみくもに判断すると止まらなくなる。だから起承転結。この修羅場は起なのか結、それとも転。すべてを終わらせるための結かも……。春はなにかを始めるタイミング。競馬も桜花賞、皐月賞と春クラシックが始まる。喜々として起!

動かせ自分を(メタボとイメージ)

カラダのことが気になってきたが、どうすればイメージにカラダが近づくのか。少しづつ自分の体を動かしていこう。マッチョもメタボも自分次第。

ときめくかときめかないかがわからない「不明なモノ」の輪廻

ときめき基準で片づけたいけど、どうしてもときめき不明なもの(書籍、服、小物、食材までも)が多すぎる。不明なものは処分してしまったほうがいいのだろうか。果てしなく続く「不明なもの」を考える。

波を見て、波に乗り、そして足がつる

流行や話題の波に乗るとか乗れなかったとか、気分や人生の浮き沈み。波をイメージして行動していることが多い日常で、乗らずに見ているだけという選択も有りなのかもしれない。見てるだけなら、波をかき分け泳いで足をつることはないし。波って癒やされるよ…

暇つぶしの目玉

食事中も電車の中でも、目玉はスマホを見つめてる。視線無沙汰の目玉がスマホを要求しているのか、それともスマホがあるから見てしまうのか。

「これは個人の感想です」トークとイメージ補正

すべては個人の感想なら、個人から普遍的な感想はどうやって到達するのだろうか?