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野蛮に現在のテキストを積み重ね

「不明」の持続可能性 −モネ それからの100年展/中原昌也 個展−

 見たままのイメージを超えたい。なぜ「自然」のままではなく、ほんの少し「盛る」のか。肉眼よりもスマホの液晶モニターを通した世界がしっくりくるのはどうしてなのか。現実的というよりも人工的な世界の淡い現実感。解像度としてはっきりするよりぼやけたときに紛れ込む「不明さ」。「いいね」と相手の反応がつくように、「不明さ」の加減を気にすることが多い。

 ほとんどの場合、「不明」を「分かるようにする」ことが大切だと思う。不明な部分はどこなのか原因を突きとめ、誰もが分かるような言葉(例え話)で説明する。美術館のキャプションや音声ガイドなどは分かるように解説するために用意されている。ただ、分かるようにするといってもよくわからなさに近づくだけで、本質そのものではない。別のストーリーに収納されてしまう可能性だってあるが、時間をかけずに理解できるので、多くの人にとっては有効だ。自己啓発関連本やバラエティー番組の分かりやすさと同じだ。

 しかし部分的には「不明」をそのまま受け取ることも意識しなければいけない。よく分からない。私には伝わってないという諦念とともに、でもなにかが宿っているという不気味さ。物語にもならず、音楽にもならず、ただそこにあるということ。浮遊霊のような、あるいは無の境地。「不明」が佇んでいる。
AR、VRで不明なものを表現できるのだろうか?
AIはよくわからなさを分からないままにしておけるのか?

分からせようともせずどうしようもなく佇んでいる作品群。
不明の強度と持続性。分からせようとすると壊れる淡さ。エロスとタナトス。

「不明」に対しての距離というか柔軟さについて
私は「不明」なままでいる作品に魅力を感じるのだった。
どうしようもできない不明に目や耳を預けたい。

そして私も不明なことを振りまきたくなる。
気怠く、浮遊霊のように。
持続可能な不明を目指して。

 

モネ それからの100年
会期 2018年7月14日〜9月24日
会場 横浜美術館

 

中原昌也 個展
会期 2018年8月9日〜8月31日
会場 Sprout Curation

中原昌也|個展 Masaya Nakahara | Solo exhibition – sprout curation

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