ashita text

野蛮に現在のテキストを積み重ね

Art

消化してたよりなさを吐き出す/目[mé]『非常にはっきりと わからない』展

美術展の場合、作品の鑑賞に加えて、キャプションや作家自身の言葉(展覧会のタイトルも重要な言葉だ)や美術館やギャラリーのもつ独特な空間など複合的な要素を摂取して消化する面白さがある。しかし、そうして消化したものは、自分自身のものしかわからな…

アートの現地集合(フワッとした現地感としての「バンクシー作品らしきネズミの絵」、アウトサイダー)

誰も知らない場所に現地集合。そこにアートがあるから行ってみる。フワッとした現地感。果たしてこの作品が集まるべき場所だったのかどうか。

流れだけが残ったので流されていた -「マルセル・デュシャン」と「寅さん」−

映画や美術作品を世界観や物語のラインに乗って流れ流され見ていくと、どこまで行くのか。どこかで滝のように落下するのか、それとも湖のようなダムのような流れが溜って淀んでいる場所に出くわすのか。それともぐるぐる回っているだけなのか……。

「不明」の持続可能性 −モネ それからの100年展/中原昌也 個展−

絵や写真作品などを目の前にしたときに「いいね」的な明瞭さは必要だけども。「不明」からくるなんだかよく分からないものにも魅了されるのだった。

データは機械に憑依しているのか −書籍『作って動かすALife』、縄文 展−

技術はそのまま続くのか。機械はアタマがよくなっていくのか。AIやAR、そしてAlifeへと。人工生命への連なりについて、データの美についてぐるぐると思いを巡らす。そして美からデータ的民俗学へと発展するのではないだろうか。お盆休みに『作って動かすALIF…

残らなくてもいいから変化を −ゴードン・マッタ=クラーク展、映画『菊とギロチン』−

ゴードン・マッタ=クラーク展と映画「菊とギロチン」を通して、変化(アナーキーさ)は受け継がれるのか? なにも残らないのか? 思い巡らせる。

緊張と緩和の奈落 −CANCER『THE MECHANISM OF RESEMBLING』展−

文字笑いの重なり 「もう笑うしかない」というようなシチュエーションがあったとして、そのときの笑いはどこに向けられているのか。自分でもなく、雰囲気でもなく、笑いがどこにも行かないという諦めで笑っているように思える。緊張の緩和じゃない弛緩しきっ…