ashita text

野蛮に現在のテキストを積み重ね

アートの現地集合(フワッとした現地感としての「バンクシー作品らしきネズミの絵」、アウトサイダー)

誰も知らない場所に現地集合。そこにアートがあるから行ってみる。フワッとした現地感。果たしてこの作品が集まるべき場所だったのかどうか。

居心地の演技

遠い親戚だらけの集まりはどこかモゾモゾする。

次はあるのかないのか、なければリサイクルしてでも

じっとしてても次はくる。次から次へと。二度あることは三度ある。それはアップデートしていくことか。でも次がなければどうする。

何チャンス? 何ピンチ?

ピンチの後にはチャンスがやってくるのか。ピンチがないとやってこないのか。チャンスはどこからやってくるのか。ところでいまはチャンス待ち?ピンチ待ち?

振り返っても忘れた(平成はおもしろかった、ということにする)

平成から令和へ。個人的に平成はなんだったのか。すべてを「平成」という文字に保存するとしたらどうするか。振り返ろうとしたけど忘れた、でも覚えてる。

低解像度のそっくりさん

そっくりさんはなぜおもしろく感じるのか。そしてなぜさん付けで呼ばれるのか。解像度が低すぎてもそっくりさんと呼んでくれるのか。

渋滞があるほうが深い

状況が渋滞しているとなにが起きているのか分からず気持ち悪い。薄皮をはがすように、ゆっくりと丁寧に状況を分解すると向こう側が見えてくる。

おもて(屋外)に出たくないので地下(屋内)で

花粉の季節、できることなら屋外は避けたい。しかし、花見にも行きたいし買い物にも行きたい。できればどこへでも地下を通って目的地へ行けたら。アンダーグラウンドな生活を夢見る日記。

起承転結はブーストしない、だから春は「起」

やみくもに判断すると止まらなくなる。だから起承転結。この修羅場は起なのか結、それとも転。すべてを終わらせるための結かも……。春はなにかを始めるタイミング。競馬も桜花賞、皐月賞と春クラシックが始まる。喜々として起!

動かせ自分を(メタボとイメージ)

カラダのことが気になってきたが、どうすればイメージにカラダが近づくのか。少しづつ自分の体を動かしていこう。マッチョもメタボも自分次第。

ときめくかときめかないかがわからない「不明なモノ」の輪廻

ときめき基準で片づけたいけど、どうしてもときめき不明なもの(書籍、服、小物、食材までも)が多すぎる。不明なものは処分してしまったほうがいいのだろうか。果てしなく続く「不明なもの」を考える。

波を見て、波に乗り、そして足がつる

流行や話題の波に乗るとか乗れなかったとか、気分や人生の浮き沈み。波をイメージして行動していることが多い日常で、乗らずに見ているだけという選択も有りなのかもしれない。見てるだけなら、波をかき分け泳いで足をつることはないし。波って癒やされるよ…

暇つぶしの目玉

食事中も電車の中でも、目玉はスマホを見つめてる。視線無沙汰の目玉がスマホを要求しているのか、それともスマホがあるから見てしまうのか。

「これは個人の感想です」トークとイメージ補正

すべては個人の感想なら、個人から普遍的な感想はどうやって到達するのだろうか?

前年比のヴァニシングポイント

昨日より明日、先月より来月、そして2018年より2019年。基準はないけど前年比。この先は常に前年比の上り坂なのか。上り詰めたら前年比が消失するのか。そこはどこ? それとも上に向かうのが前年比なのか。

無意識ポップになりすまし(サンタ/なまはげ/理想の先輩)

街にきよしこの夜が流れ住宅街はイルミネーションでキラキラしている。クリスマスシーズンどまんなか、サンタクロースの格好をした人たちが歓楽街をウロウロしている。おそらく12月24日は、あちこちの家で(子どもが目撃していようがいまいが)サンタに「な…

防寒そして名刺代わりの「帽子」

防寒アイテムとして帽子が欲しい。頭に被るアイテムとして「帽子」の多様さに驚き、なにを被るかで自分のことをわかってもらえるのではないかと寒風に晒されながらぐるぐる思う。

流れだけが残ったので流されていた -「マルセル・デュシャン」と「寅さん」−

映画や美術作品を世界観や物語のラインに乗って流れ流され見ていくと、どこまで行くのか。どこかで滝のように落下するのか、それとも湖のようなダムのような流れが溜って淀んでいる場所に出くわすのか。それともぐるぐる回っているだけなのか……。

なんとなくは冬

なんとなく止まっていたブログをなんとなく再開。「なんとなく」の度数を上げて。

メールにおける、見た目、言葉、軽やかさ。

メールはTwitterやLINEと違って、言葉やリズムそして見た目というものが複合的に絡み合っている。凝らずに軽やかに書くには……。

「不明」の持続可能性 −モネ それからの100年展/中原昌也 個展−

絵や写真作品などを目の前にしたときに「いいね」的な明瞭さは必要だけども。「不明」からくるなんだかよく分からないものにも魅了されるのだった。

「から」を埋める

多様性や種類の多さを表現する際に使う「AからBまで」について。「から」という言葉の裏にどれだけの種類の言葉が潜んでいるのだろうか?フジツボみたいにびっしり言葉が群生しているのだろうか。もしかしてなにも無かったりして。

ほぼほぼですです繰り返しの感じ感じ

言葉を繰り返すことで、なにか伝わらないものが伝わるのか。言葉のレイヤーを乱暴に重ねてはみ出た意味の淡さ。何回言葉を繰り返せば相手に伝わるのだろうか(あるいは怒られるのだろうか)。繰り返すのは、ほぼほぼ2回でいいの? ですです。

データは機械に憑依しているのか −書籍『作って動かすALife』、縄文 展−

技術はそのまま続くのか。機械はアタマがよくなっていくのか。AIやAR、そしてAlifeへと。人工生命への連なりについて、データの美についてぐるぐると思いを巡らす。そして美からデータ的民俗学へと発展するのではないだろうか。お盆休みに『作って動かすALIF…

決断カロリー

流れに身を任せている人は、いつ決断するのか。そして決断に必要なカロリーを使いたくないときは、筋トレみたいに決断力を少しずつ鍛えていかなければいけないのではないか。決めても流されても結果としての風景は目の前に広がる。

2020年予兆

予兆はいま目の前に落ちているのか。落ちているなら拾って2020年(オリンピック?)を目標に。予兆の先を予想してみたりして。

ネクスト伝統(猛暑とうなぎ)

気温40度な2018年夏、暑さに負けないようにするにはどうすればいいのか。結局うなぎなの? 科学的ではない角度で思いを巡らしてみる。

残らなくてもいいから変化を −ゴードン・マッタ=クラーク展、映画『菊とギロチン』−

ゴードン・マッタ=クラーク展と映画「菊とギロチン」を通して、変化(アナーキーさ)は受け継がれるのか? なにも残らないのか? 思い巡らせる。

夏は夜、眠りながら歩く

深夜0時を過ぎる前後、誰もいない道を歩くのが好きだ。深夜遅くまで仕事をして帰路半ばで電車がなくなり、仕方なく自宅まで1、2時間かけて歩くというのを連日繰り返していたら、歩くことが面白くなってきたのが発端だ。ド深夜、外に人がいない静けさ。誰もい…

千葉でミニムな言葉を投げあった

週末。正午。千葉県某駅。蒸し暑い駅の待合室で二十代後半くらいのアジア系男女に道を尋ねられた。なにを言っているのか分からないが、おそらくわかりやすいようにたどたどしい英語で話しかけているのだろう、それは分かった。しばらく聞いていると場所を訪…