四月までは平成で、翌五月からは令和に。昨日と今日、今日と明日、時間が経過するだけのこと漢字二文字が代わるだけのことで、これほどのリセット感があるとは! 区切りをつけるという流れが、年末年始のようなキリッとした雰囲気と似ている。だからだろうか無意識に雑煮やおせち料理が食べたくなってくる。そして4月中に大掃除を済ませておく衝動に……。外が暖かいので、これは正月じゃない!という現実にすぐ戻る。
平成から令和へ。30年近く平成という言葉に浸っていたが、将来「平成」という言葉を見て多くの人は何を思い出すのだろうか。音楽、テレビ、映画、大事件、それとも政治や経済についてか。大きな流れはあったかもしれないが、ディティールは風化し忘れられていくはずだ。とくに日々の暮らしはディティールの積み重ね、やがてあの日起きて寝るまで何をしていたかなんて忘れてしまう*1。細部はすべて感情でまとめてしまう。感情だったらディティールを曖昧にしておけるので、あとで再構築(補正)できる。時代は簡単に変わらないが、悲劇が喜劇になるように感情は変化する。ディティールは記憶の中で発酵して自分自身の肥やしになる。
なので、平成は「おもしろかった」ということにする。そのおもしろかったという地点から平成の思い出(イメージ)をつくり出す。あとは振り返っても忘れた、ということにする。
*1:日記を書いている場合でも、どんな服着て、いつ風呂に入ったかなんていう詳細までは書いていないことが多い