深夜0時を過ぎる前後、誰もいない道を歩くのが好きだ。深夜遅くまで仕事をして帰路半ばで電車がなくなり、仕方なく自宅まで1、2時間かけて歩くというのを連日繰り返していたら、歩くことが面白くなってきたのが発端だ。ド深夜、外に人がいない静けさ。誰もいないけれどあの高層マンションにはたくさんの人がそれぞれの階が居て、テレビを見ていたり眠っているのだなという外部へ漏れてくる何事かへの想像。コンビニへ寄って酒を飲みながら歩いてもいいし、回り道しながら、考え事をしながら、自由に行動できる時間。それが楽しくて仕方ないのだった。しかし、最近は終電近くまで仕事をするというスタイルではなくなったので、いちど自宅に帰って、深夜にちょっと外出する散歩的要素が強くなってしまい、すぐ自宅に戻ってくる。1時間以上歩くことはほぼなくなってしまった。
映画でも"夜"が印象に残る作品がある。デヴィッド・リンチ『ロスト・ハイウェイ』の夜の闇を疾走するクルマ、小林勇貴『孤高の遠吠』にあった夜にうごめく剥き出しの力……。夜はどこか怖い。怖いけれども、なにが起こるか分からないおもしろさがある。その「なにが起こるか分からない」ものとして、私が特に思い出す映画の"夜"は『その街のこども』と『ランデブー』だ。その街のこどもは神戸の夜を、ランデブーは大阪の夜を歩く。ただただ歩く。そして、どちらも死者の影がつきまとっているのだった。夜の時間、すべてが明らかにはならないが、見ているほうも一緒に歩いているようになってそのうち登場人物の背景(死者)が見えてくる。そして映画は夜明けで終わる。昼間の時間は映像ではなく想像でということなのか。
夜の街をただただ歩きたくなってきた。1時間でも2時間でも歩いて、いつかどこかで眠りながら歩く人とすれ違いたい。