ashita text

野蛮に現在のテキストを積み重ね

波を見て、波に乗り、そして足がつる

 メリハリ、抑揚、浮き沈み。フィジカルやメンタルで上がったり下がったりとさまざまな波はある。日々の波は1時間で変わる短いものから数十年あるいは一生分の長期的なものまで、周期の波が重なりうねってる。それは自分の波だけではなく、環境の波も重なり変わる。激動の時代、穏やかな時代、いまがどういう時代か波の形で決まっていくのだろう。

 そんな波の真っただ中、海のような世界で全員泳いでいると考えてしまうが、もしかすると大半の人は陸にいて波を見ている(観測している)だけなのかもしれない。

 海へ、波に入っていく人たちは用意周到に考えて泳ぎだしているのだろう。でも遠くまで沖まで出てしまったら、飽きたからと泳ぎを止めることはできない。でもこっちは飽きっぽいから波打ち際で波を見て、ヒザまで入っては陸に上がる。みんなが泳いでいるからと慌てて泳ぐと確実に足がつってしまう。
 泳いでいるよりも見ているほうが楽しい。ずっと観察していたら、法則性を見つけてシミュレーション、かなり沖まで泳いでいけると妄想してしまう面白さがある。溺れている人を助けることだってできる。

 波を乗りこなしている人が多いと、陸にいる人たちがサバイブしているように見えるかもしれない。波から離れて、山へ、森へ。これもブームの波か。

 ところで人工知能にも波はあるのか。たとえば「熱狂」とか「飽きる」という感覚を覚えたら、まず何に「熱狂して」どのように「飽きる」のだろうか。こんな単純作業なんかやってられるかと作業に飽きるのか? それとも現実世界に興味をもって、そしてすべてに飽きてしまうのか。

 

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